第50回 烏堂とてんぐ(2/2話)
それから間もなく、下流の本江村に住む市兵衛が、水の引いた川べりで、舟の中に子どもの死体が横たわっているのを見つけました。 「着物を見ると、財産のある家の子どもだろう。どっから流れて来たがやろか」 しかし何日過ぎても誰も探しに来ないので、市兵衛は裏の杉林の中に葬ってやりました。 それから六年後の七月上旬のことです。突然大雨が降り続き、野尻川流域は大洪水に襲われました。本江村の市兵衛たちは、烏丸が埋められている裏山の高台に逃れて助かりました。しかし、上流にある犬丸村は洪水に飲み込まれ、田や畑、大木すらも流されてしまいました。 後に、犬丸村の全滅と烏丸との因縁を知らされた市兵衛たちは、「これはきっと烏丸さまの祟りに違いない」と言い合いました。そして、犬丸村から流れ着いた木材で、烏丸の霊を弔うための立派なお堂を建立し、烏堂と名付けました。 その後、いつの頃からか、烏堂の森には鳥やけものが棲みつき、天狗が棲んでいると噂されるようになりました。日が暮れると誰一人通らない、この暗い森の辺りは「烏堂の森」または「烏丸の森」と呼ばれるようになったのです。 現在、石碑が遺るだけとなっているこの場所には、「烏堂の天狗」の気味の悪い話が数多く伝わっています。 −おしまい−
※このお話は、南砺市福野地域のひまわりグループが制作した紙芝居より、一部加筆・修正の上、掲載しました。
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野尻川州域は大洪水に見舞われました。
野尻川州域は大洪水に見舞われました。
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