第81回 サイカチ原のクモ(1/2話)
戦国時代も終わり頃、越中は織田信長公の武将・佐々成政の時代でした。そんな武将に相対していたのが、百姓や真宗の門徒衆たちでした。信長の軍勢は、お寺やお宮を焼き討ちにしたり、お坊さんを殺したりと、残虐な行いを繰り返してきました。 八尾の街にある聞名寺(もんみょうじ)は、井波の瑞泉寺と共に大変有名なお寺で、立派なお坊さんが中心となって、成政の軍勢とも勇敢に戦いました。しかし、運悪くある戦いに敗れ、門徒衆たちは命からがら井波に逃げてきました。ところが瑞泉寺も兵火にあって伽藍が焼け落ち、手の施しようがありません。井波の人々はみんな五箇山へ逃げのびて、町はがらんどうになっていました。 そのころの砺波の地形は、庄川があちこちに枝分かれして流れ、そこかしこに草ぼうぼうの川原が広がっていました。聞名寺の門徒衆は逃げ場を失って困り果てましたが、やがて知恵者の一人がこう言いました。 「この井波より一里ほど離れた庄川に、サイカチ原といわれる川原がある。そこにはサイカチイバラが沢山生えていて、こっそり隠れるには格好の場所ではないか」 藁にもすがる思いの聞名寺の門徒衆は、急いでそのサイカチ原を目指して駆けていきました。ところが着いてみて驚きました。それはそれは太いトゲだらけのサイカチの木がうっそうと茂っていて、茨(いばら)やら薮やらでとても人間の隠れ住むような状態ではなかったのです。みんなただぼうぜんとたたずむだけでした。 −つづく−
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「庄川にサイカチ原という川原がある」
「庄川にサイカチ原という川原がある」
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