となみ野ストーリー 第22回.相撲力士からホテル王になった男
●波乱万丈の人生遍歴 昭和39(1964)年、首都・東京に日本を代表する名門ホテル「ホテルニューオータニ」がオープンしました。このホテルを創立した人物が、小矢部市出身の大谷米太郎です。 大谷は、明治14年7月24日に西礪波郡正得村水落(現在の小矢部市水落)にて、6人兄弟の長男として生まれました。一家の生計を支える立場にあった彼は、懸命に働く両親の農作業を手伝うなど、幼い時から貧困な家計を支え続けました。 「おっかさん、このままじゃ、いつまでたっても、おっかさんの老後も楽にできん、わしに考えがあるから、3年間だけひまをくれ」、一生懸命仕事をしても生活が一向に豊かにならないと考えていた彼は、母親に上京することを申し出ます。同44年4月、懐に全財産の20銭、そして握り飯を携えて、一路東京へ向かいました。
●故郷を愛し、故郷の人に愛される 上京してから大谷は、現場労働員や相撲力士などを経験し、のちに小さな酒屋を開きます。力士時代に巡業へ行った室蘭の製鋼工場に深い感激を覚えた彼は、コツコツと貯めてきたお金を元手に蓄えを増やし、鉄鋼業で身を立てるべく奮起します。その努力が実り、戦時中最大の鉄鋼会社だといわれた大谷重工業を一代で築き上げます。こうした経営手腕を認められた大谷は、経営不振に陥った製薬会社や食品会社などをも立て直し、日本を代表する財界人と言われるようになりました。 さて小矢部市役所の庁舎正面には、大谷のブロンズ像が建っています。この像は、彼が石動町に対して、役場庁舎の建設費を寄付した記念に立てられました。昭和37年8月に石動町は砺中町と合併、「小矢部市」が誕生しますが、建設途中だった役場庁舎は、そのまま小矢部市役所の庁舎となりました。 同43年5月、大谷の身に突然病が襲い、同日夕方には危篤状態に陥ります。その3日後の同19日に、東京の自宅で86年の人生に幕を閉じました。
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小矢部を訪れた大谷米太郎夫妻
小矢部を訪れた大谷米太郎夫妻
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