となみ野ストーリー 第2回.「音川線」と「国道359号線」はどう違う?
●「国道359号線」のあゆみ 富山市と砺波市を結ぶ「主要地方道富山・砺波線」と、砺波市と金沢市を結ぶ「主要地方道金沢・砺波線」を1本で結び、国道として昇格させたのが、国道359号線です。昭和50年のことでした。もともと砺波と富山を結ぶ道路として重要視されてはいましたが、現在のように登坂車線や4車線化された道路ではありませんでした。 明治33年に庄川に架かる「太田橋」が完成したことをきっかけに、砺波・富山間が1本の道としてつながりました。米や肥料、木材、薪炭などが、この道を通じて流通されました。昭和9年には「太田橋」が永久橋となり(現在の富山方面車線にあたる橋)、乗用車も通行できる道となりました。戦時中には、富山の歩兵部隊(現在の富山大学のある場所)が城端町の立野原演習場へ訓練のために、列を組んで歩いていったといいます。このため軍が重要道路として認可している、数少ない道路のひとつでした。
●そもそも「音川線」とは? 現在でも「国道359号線」について、いまだに「音川線」という人がいます。なぜ音川線というのでしょうか?それはこの道路の昔の道名によります。大正9年に富山県は、この道路を「出町・音川線」として正式な県道として告示しました。「出町」とは砺波市の旧市街地一体を指し、「音川」とは現在の婦中町の音川地区のことを指します。この音川地区を通るために、「砺波線」とは呼ばず、富山側と砺波側双方で共通した呼び方として「音川線」という言い方が定着したようです。 さて音川地区は「ぶどう栽培」や「大カブの甘酢漬け」でよく知られていますが、もともと東砺波郡から多くの人が移住しました。ちなみに「音川」という地名は、農業に不可欠の外輪野用水の恩恵を思い、「音に名高い川」という意味から名付けられました。
|
|
/DBIMG/COLUMN/TOPICS_000000_184_1.jpg
庄川を渡る太田橋。左側が富山車線、右側は砺波車線となっています。
庄川を渡る太田橋。左側が富山車線、右側は砺波車線となっています。
|