となみ野ストーリー 第4回.まぼろしのお酒をさがせ!
●となみ野はお酒のメッカ? 砺波平野は昔からお酒造りが盛んに行われていました。現在は6業者が酒造りに取り組んでいます。 現在「若鶴」、「立山」などが作られている砺波市では、出町の中川氏が「友白髪」を造っていましたが、明治後期には廃業しています。また東般若地区では、松浦氏によって「天狗酒」や「天狗踊」というブランドでお酒が造られていました。 応援会員を募ってお酒造りを続けている「成政」がある福光町では、昭和45年まで前田氏によって「旭」ブランドのお酒が造られていました。江戸後期からの創業で歴史があった酒蔵でしたが、現在はご子息の方がお酒の販売店を続けています。 「北一」ブランドで営業を続けている黒田酒造は、能越自動車道の小矢部東インターチェンジのそばに工場を有します。ほかに小矢部市では津沢地区に2軒、石動地区で2軒が営業をしていた時期がありました。
●いま酒蔵がない地区は? 現在福野地区では酒造りする酒蔵はありませんが、なんと3軒が美味しいお酒を造るべく頑張っていました。とくに知られていたのが「詩百篇」ブランドの酒蔵でした。創業は江戸中期、加賀藩から福野と津沢に酒造所を設けて酒造りを始めています。ここに仕えていた杜氏は主人に忠節を尽くし、灘(兵庫県の西宮市や神戸市東灘区など周辺)の醸造家に身分を伏せて仕え、その時得た秘法で詩百篇を作り上げていました。あと砂土居酒造では、明治3年に創業し、大正年間には北陸で初めてのビン詰めも初めており、「梅鉢」「豊公」「人気盛」といったブランドのお酒を世に送っていました。福冨醸造所は明治3年に創業し、「日本魂」というブランドで販売していましたが、結局廃業しています。 ちなみに城端では森井氏が江戸後期から「勝いろ」ブランドでお酒を造り続けましたが、昭和46年に廃業しています。
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となみ野のあちこちでは、今でも酒蔵を見ることができます!
となみ野のあちこちでは、今でも酒蔵を見ることができます!
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