となみ野ストーリー 第11回.桜をこよなく愛した男
●佐藤良二の生い立ち JR城端線・福光駅のそばに、1本の細い桜の木が植えられています。その桜の幹下には、「太平洋と日本海を桜で結ぼう」と書かれた白い札がヒモで括られています。この桜を植えたのは、佐藤良二という人物です。彼は国鉄バスの運転手を長年つとめ、桜を植え続けることをライフワークにした人物です。 佐藤良二は昭和4年(1929)、岐阜県の白鳥町(現在の郡上市)生まれました。彼は幼い時に母を亡くし、父の二助に育てられます。二助は佐藤ら息子たちに「ボロを着ても社会に尽くせ。人のためになることをするんだぞ」と、ことあるごとに話して聞かせました。 昭和28年、彼が18歳の時に日本国有鉄道に入社し、やがて国鉄バスの車掌になります。ある日、彼が乗務を担当していた名金線の沿線にある村が、大きな人口湖である御母衣ダムの底に沈むことを耳にします。その村には樹齢400年のエドヒガンザクラが2本ありました。しかしこの2本の老桜はなかなか花を咲かせませんでした。そして関係者があちこち東奔西走した結果、ついにこの老桜は満開の花を咲かせることとなりました。
●太平洋と日本海を桜で結ぼう! 村がダムで沈むために離れざるをえなくなった住民たちは、その桜を囲んで花見の宴を催しました。宴が盛り上がってくると、ある1人のおばあさんが、急に立ち上がって荘川桜の幹にしがみつき、大声で泣き出します。「桜はこんなにも人の心を動かすものなのか」佐藤はこの光景に深く考えさせられました。「毎日自分が通る路線(名金線)の両側に30万本の桜を植えて、太平洋と日本海を桜並木で結ぼう」。彼は、そう固く決意しました。 その後彼はバスの中に桜の苗を乗せ、停車したバス停のそばから桜を植え始めました。そして名古屋城に千本目を植えたのは、昭和49年3月のことでした。それから2年後の昭和51年、佐藤良二は47歳という若さでこの世を去りました。
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福光駅舎の南横にある桜。佐藤が一心になって桜を植えている姿が目に浮かびそうです!
福光駅舎の南横にある桜。佐藤が一心になって桜を植えている姿が目に浮かびそうです!
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