となみ野ストーリー 第34回.『剣道の町・庄川』の礎を築いた男
●自由奔放に生きる 庄川町は、昨年11月に砺波市と合併しました。通算11年町政を担った藤崎博明は、チョビひげをたくわえ、「ひげの藤崎」として町民に慕われました。 藤崎は、明治39(1906)年10月29日に東礪波郡東山見村金屋(現在の砺波市庄川町金屋)で生まれました。県立福野農学校を卒業した藤崎は、東洋大学に進学、終戦直前には商工省戦時局嘱託、日本スリッパ工業統制組合専務を勤めました。 藤崎が故郷に戻ったのは、同20年の東京大空襲直後のこと。実家で細々と過ごす藤崎が「これまでのような、旦那衆による馴れ合い政治ではいけない」と突如村長選挙に立ったのは、40歳の時でした。地主出身者との一騎打となりますが、結果は予想を大きく裏切り藤崎が当選、手弁当で応援した農学校時代の同級生や青年団の人たちは、奇跡の当選を喜び合いました。 昭和27年、東山見、青島、種田、雄神四村が合併、『庄川町』が誕生します。合併に東奔西走した藤崎はこの実績を高く評価され、初代町長となります。
●「質実剛健」のマチを目指す 藤崎は、「農林行政の強力なる推進、道路網の拡張整備、中学を中心とした教育の充実、観光事業を強化して外来客を誘致し以て、商工業の発達に資したい」との抱負を掲げます。とくに沿岸道路(国道156号線)の国道昇格運動に力を注ぎました。一方「質実剛健な町作り」を目指し、自分の愛する「剣道」を軸に町作りを進めます。 任期途中で県議となり、その後再び町長に就任した藤崎は、前町長の施策を次々と実現させます。同45年12月、藤崎は翌年の三たび町長選に立候補を表明しますが、支持者から「なれあいの政治ではいけない」と諌められ、出馬を断念。翌年の選挙では助役だった村井が当選し、藤崎らの遺志を継ぎました。 引退後藤崎は、悠悠自適な生活を送っていました。そして平成4年3月24日、86年の生涯を終えます。庄川町の町政施行40周年の年でした。
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藤崎博明
藤崎博明
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