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となみ野ストーリー
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掲載日:2017年2月1日 次回更新日:2017年3月1日
となみ野ストーリー 第40回.商都・高岡を救った男

●日露戦争に従軍、そして実業界へ
 高岡信用金庫を、全国のトップクラスの信用金庫へと育てたのが水上良作です。
 水上は、明治12年3月に東礪波郡中野村(現在の砺波市中野)で生まれました。3才で伯父・水上理平の養子となり、翌年戸主となりました。出町高等小学校を卒業後、福野農学校に進学した水上は教員を夢見、猛勉強します。念願の富山師範学校に入学し、卒業後は小学校で教鞭をとりました。
 さて21才となった水上は教員を辞め、金沢師団騎兵隊第九連隊に入営します。上官の覚えもよく軍曹まで昇進し、充実した3年間を送ります。
 明治35年11月に帰郷した水上は、東礪波郡役所の兵事課長となります。同38年1月に再び召集された彼は、第3軍参謀部に勤務し、乃木希典将軍の元で働きました。
 その頃、高岡に連帯区司令部が増設されることになり、水上は同司令部付となります。その後高岡市の兵事課長を勤めた水上は、同じ第三軍にいた木津太郎平と再開します。当時北陸信託会社にいた木津の推薦で、水上は同社支配人代理となり、実業界の道を歩み始めます。

●高岡の救世主として
 第一次世界大戦後、国内は反動不況に陥り、中小企業は存亡の危機に直面します。高岡の政財界の代表らは、彼らに融資する金融機関として、信用組合創立を企図します。そして大正12年、高岡信用組合が設立され、水上は常務理事(後に代表)となります。
 戦後、預金封鎖により貸出制限を受けた組合は、収益が上がらない状態となりますが、総代会で水上は「信用事業の将来と私を信用して下さるなら、必ずやれます!」と強い決意をみせました。
 昭和26年6月「信用金庫法」が施行され、高岡信用組合は「高岡信用金庫」と改称されました。その後同庫の業績は毎年上昇し、創業30年で同庫を全国の信用金庫のトップクラスに成長させました。
 同38年5月水上は理事長を退き、同51年9月に98年の生涯を閉じました。


水上良作


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