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となみ野ストーリー
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掲載日:2017年5月1日 次回更新日:2017年6月1日
となみ野ストーリー 第43回.『お笑い』を掘り起こした男

●父と同じ名前「ギンペイ」
 日本テレビで放送中の『笑点』5代目プロデューサーを務め、その後の「漫才ブーム」の先鞭をつけた人物が、今回ご紹介する中島銀兵です。
 銀兵は昭和13年6月6日、東礪波郡井波町(現在の南砺市山見)で、米倉庫業・中島喜三次の次男として生まれました。彼の名前は、父の幼名・銀平の「銀」と戦時中だったことからと「兵」を合わせたものでした。県立福野高校に進学した彼は、おしゃれな一面をのぞかせ、男子からも「銀兵!」と気軽に声を掛けられる好青年でした。
 同34年、成城大学文芸学部演劇科に入学した中島は、「テレビ」に興味を抱きはじめます。その頃NHKの人気番組『お笑い三人組』を観覧した彼は、スタジオでタレントを動かす男に興味を抱きます。

●「お笑い」に人生をかける!
 昭和38年、中島は念願の日本テレビ放送網に入社、同期に徳光和夫アナウンサーらがいました。彼とはゴルフを楽しんだり、結婚式の司会など、深い友情を育みました。
 入社以来、同社芸能局に配属となった中島は、念願の番組の制作に携わり、「テレビは夢を売る商売。視聴者に、常に正しい目線で企画を考える」ことをモットーとしました。そんな中『笑点』のプロデューサーに抜擢されます。「マンネリ」と言われても、視聴者のために」と自身の姿勢を貫き、看板番組へと育て上げます。
 同55年4月、素人がスターを目指すオーディション番組『お笑いスター誕生』の放送が始まります。局からタレントを発掘しようという、彼の一言から誕生しました。
 中島は故郷で2回、講演を行っています。同57年の井波町民大学で、番組の舞台裏を披露しました。また平成2年には、福野高校でプロデューサーの魅力を話しました。
 平成8年2月23日、闘病生活を続けていた中島は、57年の生涯を閉じます。葬儀には日本テレビ社長や、『笑点』の大喜利メンバーらが次々と訪れ、早い死を惜しみました。


中島銀兵


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