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となみ野ストーリー
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掲載日:2017年7月1日 次回更新日:2017年8月1日
となみ野ストーリー 第45回.銀の鈴を鳴らし続けた男

●「声が出ない!」
 喉頭ガンに冒されると、声帯を切除しなければならず、患者たちは沈黙の苦行に耐え続けねばなりませんでした。患者たちに「再び声を取り戻そう!」と呼びかけ、発声練習を続けてきたのが、重原勇治が創立した銀鈴会です。
 重原は明治32年11月5日、東礪波郡福野町浦町(現在の南砺市福野)で生まれました。20歳の時に親戚を頼って上京、薬種問屋へ奉公に入り、32歳で日本実業株式会社を創立、専務取締役に就任します。その後は山川薬品工業が設立され、取締役となります。
 昭和28年の夏、53歳の重原はノドに違和感を覚えます。「風邪でもひいたのだろう」と軽く考えていましたが、一向に治りません。そしてようやくたどり着いた病院で「永久に肉声を失うことを覚悟して下さい」と医師から告げられますが、「死ぬよりは良いだろう。(手術を)やってくれ!」と重原はきっぱりと言います。

●「三年かかって『コンニチワ』!」
 しかしどんなに大きく叫んでも、声になりません。「電話にも出られないなら…」と重原は経営の第一線から退きます。
 翌年、彼のもとに執刀医から手紙が届きます。ドイツの大学教授が開発した「食道発声法」を普及するため、発声教室を開いたというもので、重原は即入会しました。喉頭摘出者が声帯のかわりに、食道の入口を振動させて発声する方法で、胃の中に空気を取り込み、吐き出す時に出るゲップを利用します。重原は、明るい人柄と経営手腕を買われて世話人となり、同39年には満場一致で会長に推されます。
 日常会話をこなせるようになった重原は、同44年に社長職に復帰、経営の傍らで喉頭摘出者の地位向上を目指します。
 昭和63年に山川薬品の会長を退いた彼は、その経営の一切を長男に任せます。平成元年に喉頭摘出者団体アジア連盟の名誉会長に就任、文字通りアジアを代表する世話人となりました。そして翌年12月28日重原は92年の行路を終えました。


重原勇治


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