となみ野ストーリー 第53回.メルヘンの街を実現した男
●本を肌身離さず… 小矢部市には36もの「メルヘン建築」があります。「地域のシンボル(誇り)となるように」との思いで建てられてきましたが、この実現に尽くしたのが、前市長の松本正雄です。 松本は大正6年6月、西礪波郡東蟹谷村平桜(現在の小矢部市平桜)で生まれました。小さい時から本が好きだった松本は一方で政治家に憧れ、「(東蟹谷村長になるんだ!」と話していました。 昭和5年に礪波中学校に入学、その後は第四高等学校、東京帝國大学工学部土木工学科に進学します。内務省に入省した松本は、利根川や荒川など、関東の重要河川の護岸工事や河川改修などを担当しました。 昭和44年の夏、富山大橋が集中豪雨により橋桁が沈下します。北陸地方建設局長だった彼は、「1日も早く復旧せよ!」と檄を飛ばし、約1ヶ月で仮復旧させます。それを見届けて松本は建設省を退官、3年後には小矢部市長選挙に立候補します。 ●文化の香りが漂う街づくり 市長に就任した松本は、各所の公共施設を作るにあたり、「文化的価値を持たせ、地域の人々に親しまれ、愛される建物を作りたい」とその実現に奔走します。「市長の趣味だ!」との批判が寄せられる中で、「哲学を残そうと思う。モノと心の調和も大切だが、一番は心。建物はそのための手段にすぎない」との信念を貫きました。 昭和61年10月9日、倶利伽羅「ふるさとづくり文学碑」の除幕式が行われました。そして自宅へ戻った松本を、突然激しい頭痛が襲います。そして11日後に69年の生涯を閉じます。翌月の市葬では小学生たちが、松本が好きだった「夕焼小焼」を熱唱、市民が別れを惜しみました。 小矢部インターそばには、自由の女神をモチーフにした「自由の像」と松本の像が並んで立てられています。彼は、自身の請願によって設置された小矢部インターと北陸自動車道、そして愛と希望に満ちた「メルヘンの街」を今も静かに眺め続けています。
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松本正雄
松本正雄
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