となみ野ストーリー 第62回.サッカーをこよなく愛した男
●机の下にボールを馴染ませて… 平成17年1月、井波サッカースポーツ少年団の結成30周年記念式典が開催されました。この結成に尽力したのが、今回ご紹介する洲崎勇一です。 洲崎は昭和5年1月、東礪波郡井波町山見(現在の南砺市山見)で生まれました。同12年4月、井波小学校に入学した彼は、活発な少年で手足には傷が絶えず、小柄ながらもスポーツ万能ぶりをみせました。 同18年に旧制富山高校尋常科に入学した洲崎は、通学が不便だったことから独り暮らしを始めます。親の後を継いで医者を志していた彼でしたが、勉強に励むというより、頭の中は常にサッカーでいっぱいでした。戦後間もなく、旧制富山高校のサッカー部が活動を再開することとなり、腹をすかせながらボールを追うという日々を送りました。 昭和26年4月、洲崎は信州大学医学部へ入学します。同年、富山県の代表選手に選ばれた彼は、大学でサッカー部を結成しました。昭和30年にはインターンとして井波厚生病院で勤務を始めます。 ●サッカーの魅力を伝えたくて 昭和48年5月、洲崎は井波サッカースポーツ少年団を結成します。監督に就任した彼は、子供たちにサッカーの面白さを伝えました。 昭和61年2月、体調不良を訴えた洲崎は、金沢大学医学部附属病院に緊急入院します。そこで悪性リンパ腫と診断された彼は、8ヶ月の闘病生活を送ります。この間に井波サッカースポーツ少年団は、念願の全国大会出場を果たしました。嬉しさを抑え切れなかった洲崎は、県大会の決勝戦の時、病身にもかかわらず会場に駆けつけ、声援を送り続けました。そして「本当のサッカーマンは、死ぬ時にボールを抱いて死ぬものだ…」と言い続け、昭和62年6月に57歳でこの世を去ります。 「サッカーはどこの国に行ってもやっている。これからはサッカーを通じて、もっと世界と交流することが大切だ」。洲崎の思いは、現在も子供たちへ受け継がれています。
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洲崎勇一
洲崎勇一
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