となみ野ストーリー 第64回.那谷寺の再興に尽くした男
・那谷寺の荒廃ぶりを嘆く 小松市にある那谷寺の第15世住職として、荒廃していた那谷寺の再興に尽くしたのが木崎隆禅です。木崎は明治33年2月、砺波市芹谷で、父・山本利三郎、母・さとの次男として生まれました。教育を身に付けさせることが大切だと考えた両親は、わずか5歳で自宅向かいの千光寺へ入寺させます。小学校へは千光寺から通った彼は、親から離れての厳しい修行を続けました。その後彼は高野山中学校へ進学し、ここで師僧・金山穆韶と出会い、仏の道を学びました。 昭和2年に高野山大学を卒業した木崎は、那谷寺第14世・木崎観明の養子となります。そして金剛峰寺の法務を務めた後、昭和9年に金山に連れられて、再び那谷寺を訪れます。そして観明の兄の孫・かほると結婚し、第15世住職となります。しかし諸堂伽藍の荒れ果てた様子に驚いた彼は、寺の修復に尽くそうと考えますが、わずかな檀家に寄付を求めることは難しく、金銭的負担だけが重くのしかかりました。 ・「もう公にしてもよろしい。思い残すことはない」 昭和42年のある日、木崎は突然高血圧で倒れ、半年ほど口が利けなくなります。その後に目覚しい回復力をみせた彼は、寺の一切を息子・馨山に譲り、隠居しま。3年後には、古希の祝いと華王院落慶式が執り行われ、また高野山からは僧位の最高位・大僧正が贈られました。 またこの年、このお寺を紹介した本『那谷寺』が出版されました。木崎は、昔の佇まいにもどしてから世に広めたいと、本の出版を断り続けていましたが、那谷寺のすぐ隣で生まれ育った作家・陣出達朗からの申し出を受け入れます。陣出は『遠山の金さん』や『伝七捕物帖』などを執筆するかたわら、那谷寺を題材にした随筆にも手掛け、那谷寺は全国に知れ渡りました。 息子に住職の座を譲って以来、木崎は寝たきり生活の中で病魔と闘います。そして昭和63年8月、88年の生涯を閉じました。
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木崎隆禅
木崎隆禅
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