となみ野ストーリー 第21回.イタイイタイ病患者を救った、もう一人の学者
●「衛生学」を志した青年 昭和43年5月8日、当時の厚生省は、日本で初めての公害病として「イタイイタイ病」を認定しました。この病気を、衛生学の方面から公害病だと研究発表し、その後の裁判にも多大な影響を与えたのが、福光町出身の石崎有信です。 石崎有信は明治43(1910)年に砺波市で生まれました。若いころから数学好きで、いずれは数学者になりたいという夢を持っていました。そんな石崎は、昭和4(1929)年に金沢医科大学(旧制。現在の金沢大学医学部)に入学します。卒業後は、衛生学を研究するべく大学に残り、助手となります。翌年には軍医となり、1年で大学へ戻り、再び衛生学の研究を始めます。
●イタイイタイ病との関わり 昭和31年、石崎のもとに農協高岡病院から、カルシウムの出納実験が持ち込まれました。当初イタイイタイ病は、栄養不足による骨軟化症のような病気だと考えられていました。石崎は早速、神通川の水を採取して分析を試みますが、なぜ神通川流域の一部のみで発生しているのかわかりません。 石崎が悩みながら研究を続けているうちに、ちょうど同37年ころから「カドミウム」説が有力視されるようになります。しかし神岡鉱山を犯人だとする説だったため、カドミウム説反対論も出てくるようになります。石崎はカドミウム説の根拠を明確にする研究を続けます。 石崎は昭和25年から50年まで、金沢大学医学部の教授を務めました。そして新設された私立金沢医科大学へ移り、さらにカドミウムなど重金属の人体影響について研究を進めました。5年後には同大学の学長に就任し、後任に教室を委ねます。しかし今でも石崎がライフワークとした「環境中における人体におけるカドミウムの影響」というテーマで、研究が続けられています。 平成12年10月3日、石崎有信はカドミウムの研究に力を注いだ91年の人生に終止符を打ちました。
|
|
/DBIMG/COLUMN/000000_688_1.jpg
石崎有信
石崎有信
|