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となみ野ストーリー  

掲載日:2015年2月1日 次回更新日:2015年3月1日
となみ野ストーリー 第16回.津沢に鉄道を走らせた男

●鉄道の整備が遅れた津沢
 『となみ野ストーリー』の第1回のテーマは、富山市から庄川町を経由して小矢部市に到るサイクリングロードについてのお話でした。
 さてこの加越線の建設には、多くの人物が関わっています。中でも、小矢部市津沢出身で酒造業者・津島吉六は、先駆者として活躍しました。
 明治30年、黒田(現在の高岡市)と福野町の間に、富山県最初の鉄道・中越鉄道が開通しました。のちに福光・城端まで伸ばされ、砺波地方は大きな恩恵を受けました。津島は、その中越鉄道の発起人の一人として、砺波・福野間を津沢経由で通す計画を夢見ていました。
しかし小矢部川の舟運で発展した津沢の人々の中からは、鉄道建設反対の声が挙がります。この結果、井波、庄川、津沢はそのルートから外されたことで、発展から立ち遅れる心配が出てきました。それに危機感を抱いた人たち、とくに庄川で活躍した木材業者平野増吉や、津島らは「中越鉄道と連絡する鉄道を建設したい」と熱望します。

●鉄道建設と津島
 津島は明治45年、平野らと共同で、荒川村(小矢部市)から青島村(庄川町)までの鉄道敷設を申請します。翌年敷設の認可を受けて、津島を社長とする砺波鉄道株式会社が創立され、本社は津沢に置かれました。工事は青島・福野間から始まりますが、資金難に陥り、途中の福野までで工事を中止するという意見が出てきました。大混乱の末、大正11年に石動・青島間が全通、約10年の歳月をかけてようやく全通しました。
 津島は事業安定した直後、津島は昭和5年9月に78歳でこの世を去ります。
 さて津島が建設に尽力した加越線は、昭和47年に廃止されました。津沢駅は、近くにある砺波女子高校(現在のとなみ野高校)生が利用する、賑やかしい駅でした。廃止後駅舎は解体され、サイクリングの休憩ができる小公園として整備されています。


★加越線の旧津沢駅跡には津島の頌徳碑があります。「鉄債鬼しばし凌いで来てみれば 粟津の秋は酒友もなし  水雪」と書かれています。


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