「いーとなみの」はとなみ野を中心とした砺波市・南砺市・小矢部市の生活や地域情報のポータルサイト
トップ ニュース イベント 映画情報 お店&企業 まちのお医者さん よみもの 番組案内 リンク マイページ
トップ > ニュース >北日本新聞ニュース >広沢さん野球を愛し逝く 石動高OB甲子園投手

イベント&お知らせ 参加のご案内


北日本新聞ニュース

広沢さん野球を愛し逝く 石動高OB甲子園投手
印刷用ページ
2018/12/11 小矢部市 スポーツ・文化


/DBIMG/TOPICS_NEWS_KITA/k18121101.jpg


 第60回全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)で石動高校のエースとして活躍した広沢一憲さん=享年(56)、小矢部市石動町=が亡くなり、10日で1カ月を迎えた。くしくも甲子園を目指して青春時代に汗を流した母校のグラウンドで倒れ、帰らぬ人となった。家族やかつてのチームメートは突然の別れを惜しむとともに、野球を心から愛した人生に思いをはせている。

 1978年の夏だった。

 身長175センチ、体重60キロの細身の下手投げ。広沢さんは1年生投手として県高校野球界で躍動する。富山大会の準決勝で強豪・高岡商業高を完封。決勝は氷見高を2−1で破り、チームは初の甲子園出場を決めた。九回裏の氷見高最終打者、餘茂田哲朗さん(58)=氷見市=は「頭が良く、指示通りのコースに投げられる投手だった」と言う。

■小矢部の英雄
 1県1校制となる節目の第60回大会で、地元は喜びに沸いた。優勝パレードの沿道は市民で埋め尽くされ、広沢さんは“小矢部のヒーロー”になった。甲子園は初戦で延岡学園高(宮崎県)に2−1で敗れたが、コントロールが抜群の投手として広く知れわたっていた。大勢のファンが練習や試合を見学し、ファンレターもたくさん届いたという。ただ本人は黙々と練習し、監督を務めた細川行雄さん(73)=小矢部市=は「真面目で、絶えずグラウンドで走っていました」。

 高校2、3年は甲子園出場はならず、大学で肩を痛めてしまう。その後は会社員生活を送り、85年に石動小からの同級生、知江さん(56)と結婚。2人の息子に恵まれた。指導者としても野球に関わり、2005〜11年は、部活を引退した中学3年生の「おやべスポーツクラブ少年硬式野球教室」で監督を務めた。

 「でも、プレーすることが何より好きだったんです」。兄弟のように仲が良かった石動高野球部OBの山本就(なり)彦(ひこ)さん(60)=同市=は語る。甲子園球場で元高校球児が対戦する「マスターズ甲子園」は県選抜チームと同OBチームで出場。山本さんは「甲子園は投げやすいって。そんなこと言えるのは小矢部で広沢だけ」と懐かしむ。同教室にはスタッフとして携わり、10年からは参院議員時代の柴田巧さん(58)=同市=の公設第一秘書を務めていた。

■意識戻らずに…
 11月10日は同教室の練習試合を見守るため、石動高グラウンドを訪れていた。午前9時ごろに倒れ、意識が戻らないまま1時間余り後に息を引き取った。甲子園に共に出場し、病院まで付き添った清水誠さん(57)=同市=は「本当に信じられない」と無念さをにじませる。

 知江さんと長男の光治さん(31)は「最後は石動高校のグラウンドに帰っていきました。本人も『よかった』って思っているかもしれない」としのぶ。野球を愛し、寄り添いながら歩んだ人生だった。
 第60回全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)で石動高校のエースとして活躍した広沢一憲さん=享年(56)、小矢部市石動町=が亡くなり、10日で1カ月を迎えた。くしくも甲子園を目指して青春時代に汗を流した母校のグラウンドで倒れ、帰らぬ人となった。家族やかつてのチームメートは突然の別れを惜しむとともに、野球を心から愛した人生に思いをはせている。

 1978年の夏だった。

 身長175センチ、体重60キロの細身の下手投げ。広沢さんは1年生投手として県高校野球界で躍動する。富山大会の準決勝で強豪・高岡商業高を完封。決勝は氷見高を2−1で破り、チームは初の甲子園出場を決めた。九回裏の氷見高最終打者、餘茂田哲朗さん(58)=氷見市=は「頭が良く、指示通りのコースに投げられる投手だった」と言う。

■小矢部の英雄
 1県1校制となる節目の第60回大会で、地元は喜びに沸いた。優勝パレードの沿道は市民で埋め尽くされ、広沢さんは“小矢部のヒーロー”になった。甲子園は初戦で延岡学園高(宮崎県)に2−1で敗れたが、コントロールが抜群の投手として広く知れわたっていた。大勢のファンが練習や試合を見学し、ファンレターもたくさん届いたという。ただ本人は黙々と練習し、監督を務めた細川行雄さん(73)=小矢部市=は「真面目で、絶えずグラウンドで走っていました」。

 高校2、3年は甲子園出場はならず、大学で肩を痛めてしまう。その後は会社員生活を送り、85年に石動小からの同級生、知江さん(56)と結婚。2人の息子に恵まれた。指導者としても野球に関わり、2005〜11年は、部活を引退した中学3年生の「おやべスポーツクラブ少年硬式野球教室」で監督を務めた。

 「でも、プレーすることが何より好きだったんです」。兄弟のように仲が良かった石動高野球部OBの山本就(なり)彦(ひこ)さん(60)=同市=は語る。甲子園球場で元高校球児が対戦する「マスターズ甲子園」は県選抜チームと同OBチームで出場。山本さんは「甲子園は投げやすいって。そんなこと言えるのは小矢部で広沢だけ」と懐かしむ。同教室にはスタッフとして携わり、10年からは参院議員時代の柴田巧さん(58)=同市=の公設第一秘書を務めていた。

■意識戻らずに…
 11月10日は同教室の練習試合を見守るため、石動高グラウンドを訪れていた。午前9時ごろに倒れ、意識が戻らないまま1時間余り後に息を引き取った。甲子園に共に出場し、病院まで付き添った清水誠さん(57)=同市=は「本当に信じられない」と無念さをにじませる。

 知江さんと長男の光治さん(31)は「最後は石動高校のグラウンドに帰っていきました。本人も『よかった』って思っているかもしれない」としのぶ。野球を愛し、寄り添いながら歩んだ人生だった。

© 北日本新聞


まちのニュース
となみチューリップフェアPR隊TST訪問 4月2日(4/15)

南砺市地域おこし協力隊 隊員辞令交付式 4月1日(4/15)

砺波市体育教会名称変更及び看板設置 4月1日(4/15)

「ボクなん」市長への報告 3月29日(4/15)

南砺市消防団 団旗返納式 3月29日(4/15)



北日本新聞ニュース
築150年民泊いかが 萩野さん夫妻が庄川に民泊施設(9/15)

ミセス大会県代表 堀田さん活躍誓う(9/15)

詐欺被害防いだ、JAとなみ野職員に感謝状(9/15)

車の男児機転利かせ救出 南砺・コメリ店長たたえる(9/15)

移住者募る相倉合掌集落 障子張り替え準備万端(9/15)



行政ニュース
ブランドプロモーション事業を担当する地域おこし協力隊・小塚友貴隊員辞令交付式(6/1)

6月1日(水)、福野庁舎で田中市長が「定例記者会見」を行いました。(6/1)

クマ情報(6/1)

福野児童センター「アルカス」平成28年6月の行事案内(6/1)

きっずらんど平成28年6月の行事案内(6/1)


ページの最上部
お問い合わせリンク・バナー著作権について免責事項利用規約個人情報についてサイトポリシー

Copyright (c) Tonami Satellite Television Network All rights reserved.