旧井波美術館の活用を考える展示会が行われた。
旧井波美術館の活用を考える展示会が行われた。
これは、去年12月、惜しまれつつ閉館した井波美術館を井波のシンボルとして残すにはどのようにしたらよいかを考えようと、地域づくり協議会井波連合会などが企画したものだ。
この企画は、井波に魅せられ、井波に住んでいた香港生まれの「ミッキ・タム」さんが、旧井波美術館ビルが売却されることを知り、出身校であるアメリカの美術大学「ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン」通称リスディの教授に相談したことがきっかけでスタートした。
会場には、RISD(リスディ)の大学院生9人が考えた、ユニークかつ井波の文化を
重視した再利用案が並んだ。
その中で、8のつく日に農産物を販売していたことからその名がついた「八日町通り」の歴史に着目し、食料品店を市場のように配置する案や、日本最古の舞台芸術「能」を上演する芸術文化センターにする案などが発表された。
学生たちは、今年の3月に井波を訪れ、実地検証を行う予定だったが、新型コロナウイルスの影響で断念。しかし、井波の歴史や文化、町並みなど、地元関係者がまとめた資料をもとに研究を続け、リモート発表会などを経て、今回の展示会開催に至ったということだ。
これは、去年12月、惜しまれつつ閉館した井波美術館を井波のシンボルとして残すにはどのようにしたらよいかを考えようと、地域づくり協議会井波連合会などが企画したものだ。
この企画は、井波に魅せられ、井波に住んでいた香港生まれの「ミッキ・タム」さんが、旧井波美術館ビルが売却されることを知り、出身校であるアメリカの美術大学「ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン」通称リスディの教授に相談したことがきっかけでスタートした。
会場には、RISD(リスディ)の大学院生9人が考えた、ユニークかつ井波の文化を
重視した再利用案が並んだ。
その中で、8のつく日に農産物を販売していたことからその名がついた「八日町通り」の歴史に着目し、食料品店を市場のように配置する案や、日本最古の舞台芸術「能」を上演する芸術文化センターにする案などが発表された。
学生たちは、今年の3月に井波を訪れ、実地検証を行う予定だったが、新型コロナウイルスの影響で断念。しかし、井波の歴史や文化、町並みなど、地元関係者がまとめた資料をもとに研究を続け、リモート発表会などを経て、今回の展示会開催に至ったということだ。