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戦火乗り越え100歳夫婦 福野の川崎さん
 
2018年8月16日 南砺市 地域・社会






 南砺市松原(福野)の川崎じついさんが今月末で100歳になる。夫は103歳の清三(せいそう)さんで、「100歳以上夫婦」が誕生する。清三さんは戦時中、中国大陸などを転戦し、じついさんは夫の無事を祈り、帰還を待ち続けた。戦中、戦後と共に苦労を乗り越えた約80年の夫婦生活を振り返り、長寿を喜ぶ。

 じついさんは1918(大正7)年生まれで、今月30日に100歳の誕生日を迎える。15(同4)年生まれの清三さんと連れ添って約80年になる。

 清三さんは独身の頃、朝鮮半島へ渡り、おじの肥料販売業を手伝った。その後、兵隊に徴集され、満州(中国東北部)方面へ配属された。部隊が川を渡ったところで、旧ソ連軍とみられる敵から銃弾を浴び、右手中指に被弾。その傷痕は今も残る。

 仕事上の経験から中国語などが話せるのを見込まれ、中国大陸で戦地を転々とした。じついさんと結婚したのは、この頃だったという。

 じついさんは夫の出征中、裏手の戸が開く音がするたびに、帰ったかと思って見に行くほど、待ち焦がれた。無事帰還したことを、「命を懸けてきたがやもん」と、今もねぎらう。

 清三さんは家族らに「戦争の時は20人ほどの(部下を率いる)頭を務めた」と話すのみで、戦地の様子を詳しく語ったことはないという。次女の辻明子さん(70)は小学生の頃、近所の男性から戦地の生々しい状況を聞いて「戦争は正常な判断や人間性を失わせる」と感じた。父が経験した戦争についても「知りたい」と願っている。

 戦後、大工の棟りょうとなった清三さんは、雪のため仕事が途絶える冬場などに、職人らを引き連れ、関西や九州で働き、家を空けることが多かった。じついさんは育児をしながら、機織り工場に勤め、留守を守った。「結婚生活に苦労は付きもん」。歩んだ道のりを淡々と振り返る。

 今は自宅で夫婦2人暮らし。ともに認知症を抱えるが、24時間巡回型の介護サービスや明子さんらのサポート、近所の見守りに支えられている。「ずっと一緒にいられてよかった」といたわる夫の言葉に、じついさんは「もったいない」と感謝の思いを口にした。

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