となみ野ストーリー 第50回.商売に一途であり続けた男
●農家を訪ねて「まいどさん!」 金沢市郊外の「料理旅館・滝亭」は、埴生八幡宮のお告げにより見出された霊泉とされています。このお告げを受けたのが、裸一貫から北陸有数の旅館経営者にまで登りつめた谷崎吉太郎です。 谷崎は明治36年4月23日、西礪波郡石動町福町(現在の小矢部市東福町)で生まれました。小矢部川を往来する商人たちを見て育った彼は、いつしか商人を志すようになっていきました。12歳の谷崎少年は、アンコロ餅をくるむ笹の皮を縛るヒモを作るためのスゲくずを農家から集めて、これを津幡の餅屋へ納めました。 その後谷崎はくず米を集めて販売しようと考え、魚行商で得た資金をもとに雑穀屋を開きます。作柄が悪いと聞けば、すぐ現地へ出かけて情報を収集、石動駅は谷崎の雑穀が山積みとなることもありました。 昭和15年、政府から小麦・米・砂糖の配給制と物価統制令が出されたため、谷崎はやむなく味噌・醤油の醸造事業に転換します。
●北陸三県を代表する旅館王に 終戦後谷崎は、新たに観光の分野へ進出します。売りに出されていた山代温泉「山代屋」の買収を手始めに、金沢市にあった映画館を買収するなど、まさに独立独歩で事業を拡大していきました。 同29年に谷崎は山代屋を売却し、片山津にあった「富山館」を買収します。翌年にはその隣に、片山津第一観光ホテルを建設、鉄筋10階建て・650人収容という巨大なホテルの誕生でした。そして同49年には念願の和倉進出を果たします。 谷崎は生涯様々な事業を手掛けましたが、これらは自分の兄弟や一男五女の子供たちに譲り渡しました。大洋化学工業や昭和肥料、石動地所、谷崎産業、城端醤油やホワイト食品工業、滝亭、和倉温泉「のと楽」などがそうです。 平成3年10月頃から体調を崩した谷崎は、入院生活を送ります。そして翌年4月、城山公園の満開の桜を見届け、同月27日に89年の生涯を閉じました。
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谷崎吉太郎
谷崎吉太郎
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