第55回 とのさま道と石仏さま(2/2話)
市右衛門は、早速石屋に頼み、三十三体の観音様を刻んでもらいました。そして、工事をしている道から加賀の二俣村の入り口までの道端のところどころに観音様を置きました。 やがて工事が終わり、朴坂峠は雨の日も歩きやすくなりました。道を行く人々はみんな、観音様に手を合わせて旅の無事を祈るようになりました。
その後(安政三年)、加賀藩主・前田斎泰公が、江戸から城端を通り、金沢に戻られる時にこの道を通られました。 朴坂峠の国見で籠から降りた殿様は、大きな石が埋め込まれ、道幅が広い山道にびっくりしました。 「このような山道で、よくぞこんな良い道を作ったものぞ。あっぱれじゃ」 と、殿様は市右衛門や村人をたいそう褒められました。 それ以来、この峠道は、殿様の通られた道、とのさま道と呼ばれるようになりました。
この道は、今はほとんど使われていませんが、富山県で最も古い道のひとつで、坂本の駅馬から京の都へと沢山の人が行き来したということです。
※・・・加賀藩特有の組織。村を治める農民の代表。
このお話は、福光地域公立保育園の保育士が制作した紙芝居より、一部加筆・修正の上、掲載しました。
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石仏様に手を合わせて旅の無事を祈るようになりました。
石仏様に手を合わせて旅の無事を祈るようになりました。
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