第25回 牛岳の黄金(2/2話)
そんなある日、ふもとの文平じいさんがひょっこり訪ねてきました。長い間顔を見ないので心配してやってきたのです。そしておじいさんがしゃべらないことにびっくりし、しばらくしてひげ男がのっそり帰ってきたのに二度びっくりしました。ところが次の日から急にひげ男が見えなくなりました。どこへ行ったのだろうと思っていた二、三日後、大滝の滝つぼに落ちて死んでいるひげ男を見つけました。おじいさんは「あわれな男よ」と、傍らに埋めてやりました。「働きもせんと黄金の夢を見て」と心の中で思いました。しかしおじいさんは第二、第三のひげ男があらわれるかもしれないので、死ぬまで話すまいと誓いました。おじいさんが息を引き取ったのは、それからしばらくあとのことでした。 文平じいさんは、その頃にはすでに成政が秀吉から切腹を命じられていたことを、風の便りに知っていたのでした。文平じいさんは村人の手をかりて、おじいさんの亡骸(※2)を手あつくほうむり、塚を立てました。その塚には一枚の絵図も一緒に埋めました。成政を待ちながら、さびしくこの世を去ったおじいさんの塚を、文平じいさんは「待つ塚」と名付けました。その後も牛嶽の大滝付近で、おじいさんらしい姿を見たという村人が何人かおりましたが、埋蔵金の話は全く聞かれなかったということです。
今も牛嶽の中腹には七つの滝があり、近くには地獄谷というところもあります。またこれらの滝の付近には待つ塚のほか人塚・金塚・牛塚と呼ぶ古い塚が昭和の初め頃まで形を残していたそうです。しかし、これらの塚を掘りおこすとたたりがあるとか、生きて山を降りられないという言い伝えがあり、ふもとの村人さえ近づくのをおそれていたそうです。それでも大滝付近で命を失った人は何人もいたとか…。 おそらくそれらの人はひげ男のように働きもせずに長者になる夢を見ていたのでしょう。
−おしまい−
※2亡骸・・・遺体
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「しばらく見かけなかったが、元気やったがか?」
「しばらく見かけなかったが、元気やったがか?」
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